その昔、私が車掌をしていた頃はホーム上にはゴミ箱と同じように吸い殻入れが置かれていて、朝の通勤通学ラッシュの時間帯なんてどこの駅もタバコの煙が充満していました。
今はゴミ箱の数が自体がかなり減少していますね。
私が勤務していた会社では、優等列車の待避駅を中心に乗務員室の目の前に吸い殻入れが設置してあって、待避中に車掌や運転士がごく当たり前のようにタバコを吸っていました。
乗務中にタバコを吸う人もいましたけど……。
私は昔はかなりのヘビースモーカーでしたから、運転士の見習中は師匠(指導員)と並んでホームでタバコを吸っていました。
「見習中だからやめておきます」
なんて言っても、
「師匠の命令で吸えと言っているんだぞ」
なんて会話も懐かしいです。
「そういえば昔は国鉄なんて車内でもタバコが吸えていたし、灰皿が付いていたよね」
と私の妻が言うので
「そうそう、新快速でもタバコが吸えていたしなぁ」
153系時代の新快速だけではなく、117系の新快速でも喫煙は禁止されていませんでしたから。
ただし関西地区の東海道・山陽本線では京都~西明石間は禁煙区間に指定されていましたけど。
昔はタバコなんてどこでも吸っても良かったし、煙たいなんて文句を言う人もいませんでした。
「今日も元気だタバコがうまい!」
「暮らしにつながるこの一服」
なんて今ならば大騒ぎになりそうな標語やキャッチコピーも、ごく普通に語られていましたから。
1987年にロンドンの地下鉄キングス・クロス・セント・パンクラス駅で大規模な火災が発生し、多数の死傷者が出る事件がありました。
この火災の原因は火のついたマッチが木製エスカレーターに捨てられたことで、地下での消火活動や救助作業の困難さから日本でも地下駅の禁煙化に舵が切られました。
またほぼ同時期に各社局ともターミナル駅のホーム上の禁煙化と喫煙室や喫煙コーナーの設置が開始。
少し遅れて他の地上駅や高架駅でも喫煙コーナーが設置されていきました。
ただホーム上の喫煙コーナーの廃止はかなり遅く、受動喫煙の問題が取り上げられるようになり、さらに受動喫煙防止法にるところが大きいのでしょうか。
運転士になってすぐのころだったと思うのですが、始発駅で出発を待っていた私は乗務員室の横で立っていました。
すると初老の男性が
「にいちゃん!時間あるんやったらタバコでも吸わんかいや」
と私に声をかけてきました。
「この駅のホームは禁煙になったから吸えないんですよ」
と答えた私。
「そんなもんワシしか見てへんのやから吸うたらええねん」
「どこで誰が見てるやら分からないからやめときますわ」
「大変やなぁ宮仕えは」
そう言いながらタバコに火をつけたその初老の男性。
日中だったしスーツをピシッと着こなしたビジネスマン風で、酒に酔ったおじさんではありません。
そもそも民間会社勤務なので宮仕え(公務員)ではないのですが……。
ホーム上から吸い殻入れが減少し、喫煙コーナーや喫煙所に集約したことで受動喫煙の予防には一定の成果を上げています。
でもこのころから世間(世の中の人)がギスギスしだしたよなと、そんなことをひしひしと感じるようになった気もします、個人的な感想ですが。
