Xに投稿された動画。
そこにはJR東海の女性車掌さんが大きな動作ときびきびとした指差喚呼を行っている様子が。
返信や引用リポストの多くはおおむね
“JR東海を安心して利用できる理由の一つ”
として賞賛しているものが多かった。
なるほど、利用者目線からすれば、車掌が大きな動作による指差喚呼をすることできちんと仕事をしている、だから安全を担保できているのだと映りますよね。
目の前にいる乗務員やホーム上の駅員が、気怠そうに腕をまっすぐ伸ばすこともなく指差喚呼をしておれば、手を抜いているのかとか、全然やる気を感じないしきちんと確認できているのかと思うかもしれません。
声と動きで見せられればきちんとやっているから安心、そう思うものです。
私がいた会社では昔は基本的に“指差”は禁止でした。
特に運転士の場合、ブレーキハンドルから手を放すことは許されていませんでした。
目がかゆくても、鼻がむずむずしてもブレーキハンドルから手は離さずに我慢しろと言われていました。
といってもワイパーや前照灯のスイッチを操作するときにはブレーキハンドルから手を放していましたから、どこまでがダメでどこまでは良いのかの線引きもなされていないのが実情だったかもしれません。
マスコンは手を放すと非常ブレーキが入るので、指差喚呼のために手を放すとすればブレーキハンドルの側でしたから。
この頃は口先だけでごにょごにょと喋るような喚呼は意味がない、きちんとはっきりと口に出して自分の耳で聞くことで、頭に今の信号現示の状態や停車か通過といった情報が届くから、安全で正しい操業ができるものだとそれは口酸っぱく言われてきました。
自分の耳に入るか入らない程度の声量で喚呼したって、確認したフリにしかなっていないことが多いと言えますし。
その後徐々に”指差”喚呼を求められる場面が多くなっていきました。
平成5~6年の頃だったと思います。
ブレーキハンドルから手を離したって、危ないと思ったらデッドマンを放せば非常ブレーキが入るとの理由が付け足されました。
最初のうちは基本的に喚呼が主で、指差を付けることで耳に加えて目と指で確認できるからより安全と指導していて、この頃までは特に違和感を感じはしませんでした。
ところが指差が本格的に導入され始めると、だんだんと会社が乗務員等に求める内容が変わっていきます。
ある運転士はまじめに指差喚呼をしていたのですが、本社から乗務区へ要指導の注意が送られてきました。
〇月〇日列車番号○○の運転士は“一切”指差を行っていなかったので、指導の上その結果報告を本社へ返送しろ。
きちんと指導されたとおりの指差喚呼は行っていたのですが、車内から操業状態のチェック(裏面添乗)をしていた本社の社員からはその様子が見えなかったのが理由です。
そして全乗務員への指導として、
このあたりから的確な確認と安全のための指差喚呼から、パフォーマンスのための指差喚呼に変わっていきます。
私がいた会社で指差喚呼が本格的に導入されてから3~4年が経過した平成10年頃の事です。
喚呼だけだった時代から指差喚呼へと変わっていき、ミスが減ったのかと言うとそうでもなく、一時的には減りましたが逆に昔より大きなミスが散見されるようになっていきます。
車庫内で入換信号のR(赤)を見落としというか全く確認もせず、信号無視に加えてポイントの割出しが相次いだり、車掌も指差喚呼の動作は大きくパフォーマンス的には抜群だけど、信号がまだ赤なのにドアを閉めたり、人を挟んでいるのに出発合図を運転士に送って旅客が引きずられたり。
※ポイントの割出しとは開通していないポイントに侵入すること
すると会社としては
”指差まで導入したのになぜ運転事故が増加するのだろう”
そこから導き出される答えは、
”気合が入っていないからだ”
そこで会社としての指導は、確認し安全に実行するという本来の指差喚呼の趣旨からさらに外れていきます。
指先まで力を入れて肘も指もピンと伸びるように指差を行おう!
ミスをしないための有効な対策を見いだせず、いわば精神論に結びつけてしまい、きちんと指差喚呼をするようにとの答えしか出せないのです。
そうなってくるとミスをするたびに、会社側が求める
”指先まで力を入れた指差喚呼をしていなかったのではないか”
と言うところばかりを着目するようになり、乗務員の側も見せる指差喚呼に終始するようになる。
ミスをしないため、的確な確認と安全のための指差喚呼から、
監視する本社の社員や乗務区の助役、そして旅客に見せるための指差喚呼に変貌していくのです。
何せ会社側がそれを求めてきますから。
乗務員の側も、
”決められた場所で大きな動作の指差喚呼をしないと指導される”
そんな意識から安全や確認といった本来の意義は乗務員の頭から消えて行き、とにかく見せるためのパフォーマンスだけの指差喚呼になっていくのです。
指導されないための指差喚呼に成り下がり、本当に必要な確認はどこかに置いてきてしまう。
そしてまた誰かがミスをしてしまい、決められた指差喚呼をしていなからという話に戻り、また同じ指導の繰り返し。
大きな動作で指差喚呼しないからだ……。
会社がパフォーマンス(格好)だけの指差喚呼を求めるようになると、安全な運転業務を行っていても疑心暗鬼に陥る乗務員が増えていきます。
ミスをして指導されるのは当然、指導される側の乗務員も自分で反省することはできる、これからはここに注意して乗務しようとか、会社側が指示する指差喚呼の箇所だけではなく、ここで確認すれば自分てしてミスを犯す確率が相当減るはずといった発見もできるなど、自分に非があると認められるミスならば後々に生かすことができます。
しかし
- 指差喚呼の動作が分かりづらい
- しているように見えない
こんな理由で指導されたところで納得することは難しく、それならば安全のための確認よりもパフォーマンス重視の指差喚呼の方が大事なのだと考える乗務員が多くなっていきました。
指を差し声にも出してはいるけど確認した項目が頭には一切入ってこない、何の意味持たないただパフォーマンスのための指差喚呼……。
さらに悪循環として、パフォーマンスだけでも指導されて下手すれば乗務停止で日勤教育なんてことになると、ミスをしたことがバレると絶対に乗務員人生が終わると考えてしまい、大きなミスをしても報告すらできなくなっていく。
指導する側もパフォーマンスである指差喚呼ができていないと指導するとすれば、どんなに小さなミスでも許されるものではないとの認識が強まっていく。
ミスの報告をしたってどうせ指導からの日勤教育と他部署への異動がセットなのだったら、一か八かで報告せずバレなければラッキー、と言う考えが本当に乗務区中に充満し、それこそ体調不良(腹痛)なのにここで無線で連絡して列車を止めれば、絶対に乗務中に体調不良なんて起こしていると乗務員は向いていないとの烙印を押され他の部署へ飛ばされる。
そんなことを考える乗務員も数多く見てきました。
ここまでは実際にこの状態に陥った乗務区で車掌や運転士、そして助役を経験した上で書いています。
大きな動作と大きな声で指差喚呼を行うことがダメだと言っているのではありません。
確認のために、安全のために必要だと、指導する側もされる側も認識して行う分には当然ですが問題ありません。
でも本質部分が消え去ったパフォーマンス(格好)だけの指差喚呼に何の意味があるのかなと。
はっきり言って指差喚呼はパフォーマンスじゃないし、見せ物でもない。
大きな動作の指差喚呼を求めてくる会社の上層部は、運転士や車掌を見せ者扱いしているだけじゃないかって、在職中よく思ってました。
大きな動作でパフォーマンスと割り切って指差喚呼をしていた先輩の運転士。
私が助役になり添乗した時に言われた言葉は、
昔の記事を再編集しています


怒られないために指差喚呼は見えるようにやっている
でも指差喚呼と指差確認喚呼は別
パフォーマンスの後に、指を小さく動かして本当の確認をしているんだ