静岡放送の記事によると、2025年11月10日午前6時21分頃、東海道線の三島~沼津間を走行中の上り普通列車が、最高速度110キロの設定区間を最大で6km/h超過した。
速度超過した区間は370mで、速度超過を知らせるアラームが作動したために列車を停止させて輸送指令へ報告。
JR東海の社内規定に則り車両や線路等の点検を実施したために、上下合わせて7本が全区間で運休、4本が部分運休した。
静岡放送より
どういう意図の社内規定なのかは私には知る由もありませんが、速度超過の原因が車両や線路等の異常によるもの、または速度超過によって車両や線路等に不具合が起きていないかを調査するという意味合いなのでしょうね。
ATS-Pだから装置の不具合を疑ってのことかな。
でもすごい時代になったなと思います、昔のとんでもない状況を知る者としてはね。
私がまだ車掌だった昭和50年代、助役など上位職がいる乗務区の休憩所で、
「○○さんは△△の曲線はいくらで回ってます?」
「俺は大したことないぞ、あそこはプラス10の40で回ってる」
30キロの制限があるのでそこそこきつい曲線ですが、そこを40キロで回っていると。
それも大したことはないと言いながら……。
この話を聞いたのは車掌の見習が終わってすぐの頃で、この人たち本気でこんなこと言っているの?と思いましたが、たしかにその曲線を30キロ以下で通過する運転士は皆無で、45キロくらいで走ってました。
もちろん監督職の助役の耳にも当然入っているのですが、特に動くこともない。
だってその助役たちが運転士のころには、もっと派手に超過させて列車を走行させていたでしょうから。
昔は速度計を切るというか動ないように細工してとにかくぶっ飛ばす運転士もいましたから、6キロの超過なんて生易しいものではなく、数十キロの超過も珍しくはないと。
運転士からそちらの速度計をカバンか何かで隠してくれ、なんて言われることも多かったですし。
私がいた会社だけではなく、関空特急の「はるか」がまだ高架工事中だった阪和線を140キロオーバーで走る運転士がいて怖いなんて、知り合いの車掌も嘆いていましたしね。
昔の速度超過は当たり前な時代から、速度超過は〝悪〟な時代になり、JR東海のような社内規定も現れたのかなとは思いますが、結局は大きな事故があってようやく重い腰を上げる、そして利用者からの厳しい視線、マスコミ以上に怖いSNSへの動画のアップ、これらのことがあって何があっても許されない時代に変わっていったわけですね。
私も運転士になった当初から2000年頃までは、かなり飛ばしていました。
中には他の乗務員からのお願いによって飛ばさなければいけない列車も存在していて(早着しないと他社への乗り継ぎが厳しい)、運転士の見習中からその列車を担当する時には師匠に、
「俺の顔に泥を塗るなよ」
なんて言われていましたから。
でも2005年の他社であった大きな事故以降は1キロの超過も許されない時代になり、今では規定の速度以上を出す運転士はいないはずです。
だからこその6キロの超過で運休をともないような車両や線路等の点検を行うのでしょう。
もちろん利用者からすれば6キロの超過で運休させるな、なんて声も出て当然だとは思いますけど……。
