昔の鉄道車両って国鉄ならば、車両の側面に列車の行先や列車種別を書いた行先票を掲げていましたよね。
列車の側面(サイド)に掲示する板(ボード)だからサイドボード、略してサボと言っていたとか。
特急や急行列車の一部では列車名などを書いたヘッドマークを掲げて走行するシーンを思い出しますし。
それに対して都市近郊の私鉄では列車の行先や列車種別を書いた板を、列車の前後部に掲げて走行するのが一般的でした。
私が勤務していた会社をはじめ多くの私鉄では、列車の要件の一つに標識を掲げることというものがありました。
前照灯のほか急行灯とか標識灯と呼ばれる列車前部に掲出するものや列車の最後部に掲出する尾灯、そして運行区間や列車種別が書かれた行先板とか運行標識板と呼ばれるものの掲出がなければ、列車としての条件を満たしていないというかなり重要なもの。
この行先板の整理はなぜか列車区の仕事ではなく駅の仕事とされていたのです。
そしてこの作業を看板整理と呼んでいました。
大昔、まだ方向幕を搭載している車両がなかった頃、看板整理は基本的に毎日同じ作業だったと言います。
当然ですよね。
A駅には(1)という行先板が必ず合計で6枚降ろされて、(2)という行先板は4枚減る。
B駅は逆に(1)という行先板が必ず6枚減って、(2)という行先板が4枚降ろされる。
という感じで毎日各駅で行先板の増減枚数が一定になります。
なので○○列車で(1)という行先板をA駅からB駅へ6枚送るという作業を行っておればよいわけです。
2駅だけの関係ではないので実際はもっと複雑ですけど、ただ作業自体はパターン化していたようです。
ただ臨時列車が走行すると枚数が異なってきますけどね。
ところが方向幕を搭載した車両が増えてくると、各駅での行先板の増減が毎日違ってくるのです。
これまでA駅では(1)という行先板が6枚降ろされていたハズなのに逆に4枚減っているとか、とにかく行先板使用車両と方向幕搭載車両の運用状況で毎日違っていたのですよ。
ちなみにこの看板整理は駅勤務の中でも「駅士」と呼ばれる方々の仕事とされていました。
出札とか改札といった仕事は一般の駅員の仕事とされてきましたが、看板整理については一般の駅員の仕事ではないとされてきたからです。
「駅士」については前回少しふれたので下記の記事を参考にしてください。

「駅士」という職が廃止統合されて役職は一般の駅員と同じになってはいたのですが、私が駅勤務をしていた頃、看板整理はまだ元「駅士」の方の仕事とされていました。
でも元「駅士」の方も人数がどんどん少なくなっていたし、さらに休んだりすれば一般の駅員が看板整理を行うわけですが、たいていは入社1~3年目の駅員が尻拭いをしていましたよ。
助役たちは絶対にしないんですよ、しんどいから。
私もよくやらされました。
wikiなどには「めくり式」と書かれているタイプの行先板、あれが重たくて大変だったのです。
片手に5枚ずつ計10枚の行先板、それもめくり式(私たちは1.5と呼んでいました)を持ってホームとホームを行ったり来たり。
私はそれ以上持てなかったのですが、中には7枚ずつ計14枚の1.5を持っていく先輩もいましたよ。
きちんと所定の枚数を合わせてホーム端の行先板置き場に置いたのに
「こらぁ!今日の駅士は誰や!」
ってよく乗務区の助役が怒鳴り込んで来ていました。
枚数が足りなくて、行先板なしで運行した列車がたまにあるんです。
そのほとんどは「盗り鉄」のせいなんですけどね。
ちなみに
「駅士」という役職が統廃合されてからは、元々「駅士」が行っていた仕事を総称して「内勤」と呼ぶようになっていました。
駅の勤務指定表にも「内勤」と書かれていましたが、乗務区の古参の助役たちはずっと「駅士」と呼んでいました。
本来の内勤は事務仕事ですけど、呼び方が変わった「内勤」はやっぱり雑用がメインでしたしね。