私が運転士になったのは昭和の終わりごろ。
この当時は少々の速度オーバーは日常茶飯事のことでした。
たとえば他の列車との連絡（接続）のために出発が遅れたとしても、終点に着くまでに遅れを取り戻すのが運転士の仕事。
そしてそれを助けるのが車掌の仕事、という風潮が色濃く残っていました。
運転取扱心得（規則）にも「遅延回復の義務」なんて項目もありましたし。
※今もあるのかな？
運転士は最高速度を少し上回って電車を走らせ、ブレーキは全制動で入駅して制動時間を極力短くする。
車掌はドアをできるだけ早く閉めて電車を出発させる。
こういったことが当たり前でしたし、できない運転士や車掌は同僚から良い感情を持たれることはありませんでした。
また他の列車との連絡によって遅れて出発したことは乗務区の上司たち全員がわかっていることですし、速度オーバーしなければ遅れを取り戻せないこともわかっています。
でも乗務区へ戻ってきたら必ず、
「ご苦労さん、よく取り戻してくれた！」
って必ず労をねぎらう言葉を掛けてきます。
ところが2005年4月25日に起きた福知山線脱線事故によって状況は一変しました。
運転席の後ろに陣取って速度計をじーっと観察する人もいれば、制限以下の速度でカーブへ進入しても、揺れたけど速度をオーバーしたのではないかと苦情を言う人が増えるなど、本当に仕事はしづらくなりました。
おまけに乗務区の助役など上司から本社勤務の人間まで、1km/hでも速度オーバーをすると勤務から外されるような状態になりました。
もちろん速度超過が良いとは言いませんし守るのはそもそも当然なのですが、以前は完全に黙認していたのです。
そのような状況下ですので、例えば先ほどのような連絡のために列車が遅れたときなどは、遅れを取り戻す必要はないと180度の方針転換です。
下手に遅れを取り戻したりすればイヤミのように、
「かなり早かったみたいやなぁ」
って言われるようになりましたからね。
あまりにも上がうるさいから、例えば3分30秒遅れで出発すれば終点まで3分30秒遅れをキープして走るようにしたのです。
会社が求めていることってこういうことですからね。
でもある時こんな感じで電車を走らせ終点に着いたときに、
「遅れてる時くらい一生懸命に走れ！」
ってお客さんに怒鳴られました。
年配で作業着を着ていた方だったのですが、今まではバカみたいに飛ばしていたくせにという思いからなのか、遅れたために他の電車やバスへの乗り継ぎが間に合わなくなったのか、それとも会社に遅刻するじゃないかと怒ったのか……。
さすがに速度オーバーしちゃうと動画に撮られたりする危険性があったので、最高速度までの範疇でノッチを小刻みに入れて速度を維持したり、停車させるときは昔ながらの全制動で入駅するように私はしていました。
でも運転士生活の晩年には、
「省エネ運転を心がけるように」
「ブレーキは緩やかにかけるように」
といった指導が運転士全員にされるようになりました。
今の鉄道の現業では遅延回復なんて死語になったのかもしれません。
Xを見ているとよくバスの運転士に対して、遅延や態度のことについての苦情のような書き込みが見られます。
遅延については交通渋滞や路上への駐停車、バスが合図を出しているのに発進を妨害する車も多いし、何よりも乗降に時間がかかりすぎるといったこともあるでしょう。
専用軌道を走行している鉄道はバスに比べればマシですが、それでも乗降に手間取って遅れて発車することなんて頻繁にあります。
昔は遅延しないように適切な見切り発車を心掛けろと車掌に対して指導していましたが、今じゃ目の前でドアを閉められたとすぐクレームを入れられる。
それで車掌が待つことが増え、本来は乗れなかったはずの旅客を乗せたために遅延が出たので、遅延を取り戻そうと次の駅でややきつめにブレーキを掛ければ、今度はきついブレーキだとクレームが舞い込む。
そのわりには昔より遅延に対するクレームも増加しているし、どうにもならないよとしか……。
遅延回復どころか、遅れるのは仕方がない。
安全に目的地まで運べばそれでいい。
今では会社側のスタンスもこんな感じになってますからね。
本当に運転士の晩年には、いくら遅らせても問題ないって平然と言う上司ばかりになっていましたからね。
