休日や旗日ではなく紋日という言葉を使っていたころ

運転士
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紋日(もんび)ってご存知でしょうか。

江戸時代、主として官許の遊里で五節供やその他特別の日と定められた日。この日遊女は必ず客をとらねばならず、揚代もこの日は特に高く、その他、祝儀など客も特別の出費を要した。

物日の転訛で、日常と違った晴の日。年中行事や祝祭日や婚礼、葬式などの人生儀礼の行われる日をいう。こういう日には、紋付の晴れ着を着ることが多かったので、近世以来、紋日という言い方が流行した。明治時代以降は、祝祭日に国旗を立てることになり、祝祭日を「旗日」とよんだのと同類の造語法である。

出典 コトバンク

こんな紋日という言葉を私がいた会社では使っていて、祝祭日のことを紋日と言い、休日ダイヤのことを紋日ダイヤと言い表していました。

ただ2000年ごろには紋日とう言葉を使う乗務員は私のような年配者だけになっていき、ごく普通に祝日という人の方が多かったです。

紋日ダイヤになると乗務員の仕業表(行路表)も休日用にかわるので、どことなくしんどいような気疲れすることが多く、私個人的には平日ダイヤのほうが好きでした。

そう言えば世間でもあまり「旗日」という言い方をしなくなりましたね。

家の前に国旗を掲げるお宅も少なくなりましたし、こういう風習は消えて行くのかな。

 

私が勤務していた乗務区では平日と休日の仕業表が極端に違っていて、特に日勤では同じ仕業番号でも平日は6時30分出勤なのに休日は9時出勤みたいに、出勤時間から乗務の内容、そして退勤時間まですべてが違うことも珍しくはありませんでした。

なので出勤時間を勘違いして遅刻したり、逆に早く会社へ来すぎる人もよくいました。

泊り勤務のパターンも「平―平」「平―休」「休ー休」「休ー平」と4種類あって、同じ仕業の番号なのに出勤時間も退勤時間も微妙に違うし、中身は全く別物なんてこともありますしね。

 

今はほとんどの交通機関で土曜日は休日ダイヤで運行されていますが、昔は土曜日って平日ダイヤで運転されていました。

あの時代は学校だって土曜日は昼まで授業があったし、会社も午前中は仕事というケースが大半。

なので土曜日の朝に休日ダイヤで運行したら、ひどい積み残しが出たでしょうね。

世間の会社が徐々に週休2日制を導入し始めると、平日ダイヤで走る土曜日の朝はかなり空き始めたのです。

会社によっては平日ダイヤを使いながら土曜日は運休とする列車を設定して対処したり、逆に休日ダイヤをベースにして土曜日運転の列車を設定して対処したり。

昔の国鉄は平日ダイヤとか休日ダイヤの区別がなく、休日運休とか土休日運休、休日運転で対処していました。

そのうち平日ダイヤからの間引き運転や、休日ダイヤに土曜日運転列車の設定では、土曜日の需要に対して供給過剰状態が解消できなくなり、土曜日は休日ダイヤで運転されるようになったのです。

土曜日運休とか、土曜日に休日ダイヤを適用するようになったあたりから、紋日という言葉が急速に消えて行った気がします。

 

2018年5月7日の記事をリライトしています


 


 

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ご覧いただけたら幸いです。


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